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13. System of Linear Equation 5

線形代数学 第 14 回

逆行列の概念、存在条件、そして応用

講義情報と予習ガイド

  • 講義回: 第14回
  • テーマ: 逆行列の概念、存在条件、計算方法、およびその応用
  • 関連する内容: 連立一次方程式、ガウスの消去法、行列のランク、行列式
  • 予習事項: 第10回〜第13回の内容(特に行列のランク、行列式、連立一次方程式の解の存在条件)を十分に復習し、理解を深めておくこと。
  • スライド: こちら
  • 演習(6/3): こちら
  • 演習(6/6): こちら
  • 演習(6/10): こちら
  • 演習(6/13): こちら
  • 演習(6/17): こちら

学習目標

本講義の終了時には、以下の事項について理解し、説明・計算できるようになることを目指します。

  1. 逆行列の定義と基本的な性質を理解し、説明できる。
  2. 逆行列の存在条件を、行列のランクおよび行列式と関連付けて説明できる。
  3. ガウスの消去法を用いて逆行列を具体的に計算できる。
  4. 逆行列と連立一次方程式の解法との関連を理解し、応用できる。
  5. 回帰分析など、データサイエンスの文脈における逆行列の重要性と具体的な利用例を理解する。

1. 基本概念

1.1 逆行列の定義

定義: \(A\)\(n \times n\) の正方行列とするとき、\(AB = BA = I_n\) となる \(n \times n\) 行列 \(B\) が存在する場合、\(B\)\(A\)逆行列 (inverse matrix) といい、\(A^{-1}\) と表します。ここで \(I_n\)\(n\) 次の単位行列 (identity matrix) です。

逆行列は、元の行列に対して「掛けると単位行列になる行列」と捉えることができます。つまり、行列 \(A\) に対してその逆行列 \(A^{-1}\) が存在するとき、以下の関係が成り立ちます。

\[A A^{-1} = A^{-1} A = I_n\]

これは、実数の世界における「逆数」の概念を行列に拡張したものです。例えば、数 \(a \neq 0\) の逆数は \(a^{-1} = \frac{1}{a}\) であり、\(a \cdot a^{-1} = 1\) となります。行列の世界では、単位行列 \(I_n\) が実数の「1」に、逆行列 \(A^{-1}\) が逆数「\(a^{-1}\)」に対応すると考えると理解しやすいでしょう。

1.2 逆行列の基本的性質

逆行列には、以下のような重要な性質があります。

  1. 正方行列: 逆行列が定義されるのは正方行列に対してのみです。
  2. 一意性: ある行列 \(A\) に逆行列が存在する場合、その逆行列 \(A^{-1}\) はただ一つに定まります。
  3. 正則性: 逆行列を持つ行列 \(A\) は、正則行列 (invertible matrix or non-singular matrix) または可逆行列と呼ばれます。正則でない行列は特異行列 (singular matrix) と呼ばれます。
  4. 行列式との関係: 行列 \(A\) の逆行列が存在するための必要十分条件は、その行列式がゼロでないこと、すなわち \(\det(A) \neq 0\) であることです。(詳細は後述)
  5. 逆行列の逆行列: \((A^{-1})^{-1} = A\)
  6. 転置行列の逆行列: \((A^T)^{-1} = (A^{-1})^T\)
  7. 積の逆行列: \((AB)^{-1} = B^{-1}A^{-1}\) (積の順序が逆になる点に注意)

2. 逆行列の存在条件と計算方法

2.1 逆行列の存在条件

2.1.1 行列のランクとの関係

行列 \(A\) (\(n \times n\) の正方行列) の逆行列が存在するための条件は、行列のランクを用いて次のように述べられます。

定理: \(n \times n\) の正方行列 \(A\) の逆行列が存在するための必要十分条件は、\(\operatorname{rank}(A) = n\) である。

\(\operatorname{rank}(A) = n\) とは、行列 \(A\) を構成する \(n\) 個の列ベクトル(または行ベクトル)が線形独立であることを意味します。これは、行列 \(A\) が「情報を縮退させていない」状態、つまり、あるベクトルを \(A\) で変換しても、元の空間の次元を保っていることを示唆します。

2.1.2 行列式との関係

逆行列の存在条件は、行列式を用いても表現できます。これは実用上非常に重要な条件です。

定理: \(n \times n\) の正方行列 \(A\) の逆行列が存在するための必要十分条件は、\(\det(A) \neq 0\) である。

この条件は、前述のランクに関する条件 (\(\operatorname{rank}(A) = n\)) と同値です。なぜなら、正方行列において、行列式がゼロでないことと、ランクが最大(フルランク)であることは等価だからです。

2.2 ガウスの消去法による逆行列の計算

逆行列を具体的に求める代表的な方法の一つが、ガウスの消去法(行基本変形)を用いるものです。

手順:

  1. 与えられた \(n \times n\) 行列 \(A\) の右側に、同じサイズの単位行列 \(I_n\) を並べて、拡大行列 \([A | I_n]\) を作成します。
  2. この拡大行列に対して行基本変形を行い、\(A\) の部分を単位行列 \(I_n\) に変形します。
  3. この変形が成功した場合(つまり、\(A\) が正則である場合)、右側の単位行列があった部分は \(A^{-1}\) に変化しています。すなわち、\([I_n | A^{-1}]\) の形が得られます。

この操作は、連立一次方程式 \(A \mathbf{x}_i = \mathbf{e}_i\) (ここで \(\mathbf{e}_i\) は単位行列の第 \(i\) 列) を \(i=1, \dots, n\) について同時に解いていることと等価です。これらの解 \(\mathbf{x}_i\) を列ベクトルとして並べたものが \(A^{-1}\) となります。

例題1: \(2 \times 2\) 行列の逆行列

行列 \(A = \begin{pmatrix} 2 & 1 \\ 3 & 2 \end{pmatrix}\) の逆行列を求めます。

拡大行列 \([A|I_2]\) を作成: \(\(\left( \begin{array}{cc|cc} 2 & 1 & 1 & 0 \\ 3 & 2 & 0 & 1 \end{array} \right)\)\) 行基本変形を行います。 1. 第1行を \(\frac{1}{2}\) 倍する (\(R_1 \leftarrow \frac{1}{2}R_1\)): \(\(\left( \begin{array}{cc|cc} 1 & 1/2 & 1/2 & 0 \\ 3 & 2 & 0 & 1 \end{array} \right)\)\) 2. 第2行から第1行の \(3\) 倍を引く (\(R_2 \leftarrow R_2 - 3R_1\)): \(\(\left( \begin{array}{cc|cc} 1 & 1/2 & 1/2 & 0 \\ 0 & 1/2 & -3/2 & 1 \end{array} \right)\)\) 3. 第2行を \(2\) 倍する (\(R_2 \leftarrow 2R_2\)): \(\(\left( \begin{array}{cc|cc} 1 & 1/2 & 1/2 & 0 \\ 0 & 1 & -3 & 2 \end{array} \right)\)\) 4. 第1行から第2行の \(\frac{1}{2}\) 倍を引く (\(R_1 \leftarrow R_1 - \frac{1}{2}R_2\)): \(\(\left( \begin{array}{cc|cc} 1 & 0 & 2 & -1 \\ 0 & 1 & -3 & 2 \end{array} \right)\)\) したがって、逆行列は \(A^{-1} = \begin{pmatrix} 2 & -1 \\ -3 & 2 \end{pmatrix}\) です。

実際に、\(A A^{-1}\) を計算して確認してみましょう。 \(\(A A^{-1} = \begin{pmatrix} 2 & 1 \\ 3 & 2 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} 2 & -1 \\ -3 & 2 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 2 \cdot 2 + 1 \cdot (-3) & 2 \cdot (-1) + 1 \cdot 2 \\ 3 \cdot 2 + 2 \cdot (-3) & 3 \cdot (-1) + 2 \cdot 2 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix} = I_2\)\) 確かに単位行列になります。

例題2: \(3 \times 3\) 行列の逆行列

行列 \(A = \begin{pmatrix} 1 & 2 & 1 \\ 2 & 5 & 3 \\ 1 & 0 & 2 \end{pmatrix}\) の逆行列を求めます。

拡大行列 \([A|I_3]\) を作成します。 \(\(\left( \begin{array}{ccc|ccc} 1 & 2 & 1 & 1 & 0 & 0 \\ 2 & 5 & 3 & 0 & 1 & 0 \\ 1 & 0 & 2 & 0 & 0 & 1 \end{array} \right)\)\)

ガウスの消去法(行基本変形)を用いて、左側の行列を単位行列に変形していきます。

  1. 第2行から第1行の \(2\) 倍を引く (\(R_2 \leftarrow R_2 - 2R_1\)): \(\(\left( \begin{array}{ccc|ccc} 1 & 2 & 1 & 1 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 1 & -2 & 1 & 0 \\ 1 & 0 & 2 & 0 & 0 & 1 \end{array} \right)\)\)
  2. 第3行から第1行の \(1\) 倍を引く (\(R_3 \leftarrow R_3 - R_1\)): \(\(\left( \begin{array}{ccc|ccc} 1 & 2 & 1 & 1 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 1 & -2 & 1 & 0 \\ 0 & -2 & 1 & -1 & 0 & 1 \end{array} \right)\)\)
  3. 第3行に第2行の \(2\) 倍を足す (\(R_3 \leftarrow R_3 + 2R_2\)): \(\(\left( \begin{array}{ccc|ccc} 1 & 2 & 1 & 1 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 1 & -2 & 1 & 0 \\ 0 & 0 & 3 & -5 & 2 & 1 \end{array} \right)\)\)
  4. 第3行を \(\frac{1}{3}\) 倍する (\(R_3 \leftarrow \frac{1}{3}R_3\)): \(\(\left( \begin{array}{ccc|ccc} 1 & 2 & 1 & 1 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 1 & -2 & 1 & 0 \\ 0 & 0 & 1 & -5/3 & 2/3 & 1/3 \end{array} \right)\)\)
  5. 第2行から第3行の \(1\) 倍を引く (\(R_2 \leftarrow R_2 - R_3\)): \(\(\left( \begin{array}{ccc|ccc} 1 & 2 & 1 & 1 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 0 & -1/3 & 1/3 & -1/3 \\ 0 & 0 & 1 & -5/3 & 2/3 & 1/3 \end{array} \right)\)\)
  6. 第1行から第3行の \(1\) 倍を引く (\(R_1 \leftarrow R_1 - R_3\)): \(\(\left( \begin{array}{ccc|ccc} 1 & 2 & 0 & 8/3 & -2/3 & -1/3 \\ 0 & 1 & 0 & -1/3 & 1/3 & -1/3 \\ 0 & 0 & 1 & -5/3 & 2/3 & 1/3 \end{array} \right)\)\)
  7. 第1行から第2行の \(2\) 倍を引く (\(R_1 \leftarrow R_1 - 2R_2\)): \(\(\left( \begin{array}{ccc|ccc} 1 & 0 & 0 & 10/3 & -4/3 & 1/3 \\ 0 & 1 & 0 & -1/3 & 1/3 & -1/3 \\ 0 & 0 & 1 & -5/3 & 2/3 & 1/3 \end{array} \right)\)\)

したがって、左側が単位行列 \(I_3\) に変形され、右側に現れた行列が求める逆行列 \(A^{-1}\) です。 \(\(A^{-1} = \begin{pmatrix} 10/3 & -4/3 & 1/3 \\ -1/3 & 1/3 & -1/3 \\ -5/3 & 2/3 & 1/3 \end{pmatrix}\)\) (検算として、\(A A^{-1}\) または \(A^{-1} A\) を計算し、\(I_3\) となることを確認してください。)

4. 演習問題

基本問題

問題1: 以下の行列の逆行列を求めなさい。 \(\(A = \begin{pmatrix} 3 & 1 \\ 2 & 1 \end{pmatrix}\)\)

問題2: 以下の行列 \(B\) について、逆行列が存在するか判定し、存在する場合は逆行列を求めなさい。存在しない場合は、その理由(ランクまたは行列式の観点から)を述べなさい。 \(\(B = \begin{pmatrix} 2 & 4 \\ 1 & 2 \end{pmatrix}\)\)

問題3: 以下の連立一次方程式を、逆行列を用いて解きなさい。 \(\(\begin{cases} 2x + y = 7 \\ x + y = 4 \end{cases}\)\)

問題4: 以下の行列の逆行列を求めなさい。 \(\(C = \begin{pmatrix} 1 & 1 & 1 \\ 0 & 2 & 1 \\ 1 & 0 & 2 \end{pmatrix}\)\)

応用問題

問題5: \(A\)\(B\) を同サイズの正方行列とし、\(AB\) が正則行列であるとします。このとき、\(A\)\(B\) は共に正則行列であることを証明しなさい。(ヒント: 行列式やランクの性質を用いる)

問題6: \(2\) 次正方行列 \(A\) に対して、\(A^2 = O\)\(O\) は零行列)が成り立つとします。このとき、\(I - A\) の逆行列を、\(I\)\(A\) を用いて表しなさい。(ヒント: \((I-A)(I+A) = I-A^2\) のような展開を考える)

問題7 (健康データサイエンス関連): ある地域における健康状態の遷移モデルを考えます。住民の健康状態を「良好」「普通」「不良」の3つのカテゴリに分類します。1年後の健康状態への遷移確率を表す行列 \(P\) が次のように与えられているとします。

\(\(P = \begin{pmatrix} 0.7 & 0.2 & 0.1 \\ 0.3 & 0.5 & 0.2 \\ 0.1 & 0.3 & 0.6 \end{pmatrix}\)\) ここで、\(P_{ij}\) は、今年の健康状態がカテゴリ \(i\) であった人が、1年後にカテゴリ \(j\) に遷移する確率を表します(\(i, j = 1, 2, 3\) はそれぞれ「良好」「普通」「不良」に対応)。

(a) この遷移行列 \(P\) の逆行列 \(P^{-1}\) を計算しなさい。

(b) \(P^{-1}\) の各要素 \((P^{-1})_{ij}\) が持つ可能性のある解釈について、健康データの文脈で考察しなさい。特に、逆行列の要素が負の値を取る場合、それは確率としてどのように解釈できるか、あるいは解釈が困難であるか、理由とともに述べなさい。 (ヒント: \(P\) は現在の状態から将来の状態への遷移を表します。\(P^{-1}\) は何を意味しうるでしょうか? 確率の公理(非負性、総和が1)との関連も考慮してください。)

(c) ある年の健康状態の分布(良好、普通、不良の割合)が \([s_1, s_2, s_3]\) であったとします。その1年後の健康状態の分布が \([0.4, 0.35, 0.25]\) と観測された場合、元の健康状態の分布 \([s_1, s_2, s_3]\)\(P^{-1}\) を用いて推定しなさい。