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3. ベクトルと行列

線形代数学 I: ベクトルとその幾何学

この回では、ベクトルの「大きさ」やベクトル同士の「関係性」を定量的に扱うための重要なツールであるノルム内積を学びます。これらの概念は、ベクトルの幾何学的性質(長さ、角度、直交性)を代数的に表現する基盤となります。

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第1章 ベクトルの大きさと内積

1.1 ベクトルのノルム(大きさ)

ベクトルの「長さ」や「大きさ」を数学的に定義したものがノルム (norm) です。これは、原点からそのベクトルが指し示す点までのユークリッド距離に相当します。

定義: ベクトルのノルム \(n\)次元ベクトル \(\mathbf{x} = (x_1, x_2, \ldots, x_n)^T\) のノルム \(\|\mathbf{x}\|\) は、以下のように定義されます。

\[\|\mathbf{x}\| = \sqrt{x_1^2 + x_2^2 + \ldots + x_n^2} = \sqrt{\sum_{i=1}^{n} x_i^2}\]

: ベクトル \(\mathbf{v} = (3, 4)^T\) のノルム \(\(\|\mathbf{v}\| = \sqrt{3^2 + 4^2} = \sqrt{9 + 16} = \sqrt{25} = 5\)\)

ノルムの重要な性質: * 非負性: \(\|\mathbf{x}\| \ge 0\)。等号が成立するのは \(\mathbf{x} = \mathbf{0}\) の場合に限ります。 * 斉次性 (スカラー倍): \(\|c\mathbf{x}\| = |c|\|\mathbf{x}\|\) (\(c\)は任意のスカラー)。 * 三角不等式: \(\|\mathbf{x} + \mathbf{y}\| \le \|\mathbf{x}\| + \|\mathbf{y}\|\)。これは、三角形の二辺の長さの和が残りの一辺の長さ以上であるという幾何学的な直観に対応します。


1.2 ベクトルの内積

内積 (dot product / inner product) は、2つのベクトル間の関係性を表すスカラー値であり、特にベクトル間の「向きの一致度」を測る指標となります。

定義: ベクトルの内積 \(n\)次元ベクトル \(\mathbf{x} = (x_1, \ldots, x_n)^T\)\(\mathbf{y} = (y_1, \ldots, y_n)^T\) の内積 \(\mathbf{x} \cdot \mathbf{y}\) は、以下のように定義されます。

\[\mathbf{x} \cdot \mathbf{y} = x_1y_1 + x_2y_2 + \ldots + x_ny_n = \sum_{i=1}^{n} x_iy_i\]

※ 内積は \(\langle \mathbf{x}, \mathbf{y} \rangle\) と表記されることもあります。

: ベクトル \(\mathbf{a} = (2, 3, 1)^T\)\(\mathbf{b} = (1, 0, 4)^T\) の内積 \(\(\mathbf{a} \cdot \mathbf{b} = (2)(1) + (3)(0) + (1)(4) = 2 + 0 + 4 = 6\)\)

内積の重要な性質: * 対称性: \(\mathbf{x} \cdot \mathbf{y} = \mathbf{y} \cdot \mathbf{x}\) * 双線形性: \((\alpha\mathbf{x} + \beta\mathbf{y}) \cdot \mathbf{z} = \alpha(\mathbf{x} \cdot \mathbf{z}) + \beta(\mathbf{y} \cdot \mathbf{z})\) * 正定値性: \(\mathbf{x} \cdot \mathbf{x} \ge 0\)。等号が成立するのは \(\mathbf{x} = \mathbf{0}\) の場合に限ります。


第2章 ベクトルの幾何学

2.1 内積とノルムの関係

内積の定義から、ベクトル自身との内積がそのベクトルのノルムの2乗に等しいという、非常に重要な関係が導かれます。

\[\mathbf{x} \cdot \mathbf{x} = x_1^2 + x_2^2 + \ldots + x_n^2 = (\|\mathbf{x}\|)^2\]

したがって、\(\|\mathbf{x}\| = \sqrt{\mathbf{x} \cdot \mathbf{x}}\) が成り立ちます。


2.2 ベクトルがなす角と直交性

内積を用いることで、2つのベクトルがなす角度を幾何学的に定義できます。

定義: ベクトル間の角度 2つの非ゼロベクトル \(\mathbf{x}\)\(\mathbf{y}\) がなす角を \(\theta\) (\(0 \le \theta \le \pi\)) とすると、以下の関係が成り立ちます。

\[\cos \theta = \frac{\mathbf{x} \cdot \mathbf{y}}{\|\mathbf{x}\| \|\mathbf{y}\|}\]

この式の妥当性は、後述するコーシー・シュワルツの不等式によって保証されます。

: ベクトル \(\mathbf{u} = (1, 1)^T\)\(\mathbf{v} = (0, 1)^T\) のなす角 \(\theta\) 1. 内積: \(\mathbf{u} \cdot \mathbf{v} = (1)(0) + (1)(1) = 1\) 2. ノルム: \(\|\mathbf{u}\| = \sqrt{1^2 + 1^2} = \sqrt{2}\), \(\|\mathbf{v}\| = \sqrt{0^2 + 1^2} = 1\) 3. cos θ の計算: \(\cos \theta = \frac{1}{\sqrt{2} \cdot 1} = \frac{1}{\sqrt{2}}\) よって、\(\theta = 45^\circ\) または \(\frac{\pi}{4}\) ラジアンとなります。

直交ベクトル

幾何学における「垂直」の概念は、内積を用いて一般の次元に拡張されます。

定義: 直交 (Orthogonality) 2つのベクトル \(\mathbf{x}\)\(\mathbf{y}\) の内積が \(0\) であるとき、これらのベクトルは直交するといいます。

\[\mathbf{x} \cdot \mathbf{y} = 0 \iff \mathbf{x} \perp \mathbf{y}\]

これは、\(\cos \theta = 0\) となる、すなわち角度が \(90^\circ\) (\(\frac{\pi}{2}\) ラジアン) である状態に対応します。

: ベクトル \(\mathbf{a} = (3, 4)^T\)\(\mathbf{b} = (4, -3)^T\) の直交性 \(\(\mathbf{a} \cdot \mathbf{b} = (3)(4) + (4)(-3) = 12 - 12 = 0\)\) 内積が \(0\) であるため、\(\mathbf{a}\)\(\mathbf{b}\) は直交します。


第3章 内積の応用: 射影と分解

3.1 ベクトルの射影

射影 (projection) とは、あるベクトルを別のベクトルの方向へ「投影」し、その方向の成分を取り出す操作です。これは、力の分解など物理学的な応用も多い重要な概念です。

定義: ベクトル射影 ベクトル \(\mathbf{a}\) の、ベクトル \(\mathbf{b}\) 上への射影ベクトル \(\text{proj}_{\mathbf{b}}\mathbf{a}\) は以下のように定義されます。

\[\text{proj}_{\mathbf{b}}\mathbf{a} = \left( \frac{\mathbf{a} \cdot \mathbf{b}}{\|\mathbf{b}\|^2} \right) \mathbf{b}\]

ここで、係数部分 \(\frac{\mathbf{a} \cdot \mathbf{b}}{\|\mathbf{b}\|^2}\) はスカラー値です。

: ベクトル \(\mathbf{a} = (2, 3)^T\) の、ベクトル \(\mathbf{b} = (1, 0)^T\) (\(x\)軸方向) 上への射影 \(\(\text{proj}_{\mathbf{b}}\mathbf{a} = \frac{(2)(1) + (3)(0)}{1^2 + 0^2} \mathbf{b} = \frac{2}{1} \mathbf{b} = 2 \begin{pmatrix} 1 \\ 0 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 2 \\ 0 \end{pmatrix}\)\) これは、ベクトル \(\mathbf{a}\)\(x\)軸方向の成分が \((2, 0)^T\) であることを示しています。


3.2 直交分解

任意のベクトル \(\mathbf{a}\) は、基準となるベクトル \(\mathbf{b}\) に対して、平行な成分直交する成分の和に一意に分解できます。これを直交分解 (orthogonal decomposition) といいます。

\[\mathbf{a} = \mathbf{a}_{\parallel} + \mathbf{a}_{\perp}\]
  • 平行成分 (\(\mathbf{a}_{\parallel}\)): \(\mathbf{a}\)\(\mathbf{b}\) への射影ベクトルそのものです。 \(\(\mathbf{a}_{\parallel} = \text{proj}_{\mathbf{b}}\mathbf{a}\)\)
  • 直交成分 (\(\mathbf{a}_{\perp}\)): 元のベクトル \(\mathbf{a}\) から平行成分を引いたものです。 \(\(\mathbf{a}_{\perp} = \mathbf{a} - \text{proj}_{\mathbf{b}}\mathbf{a}\)\)

この \(\mathbf{a}_{\perp}\) は、必ず基準ベクトル \(\mathbf{b}\) と直交します。

: ベクトル \(\mathbf{a} = (2, 3)^T\) をベクトル \(\mathbf{b} = (1, 0)^T\) を用いて直交分解 * 平行成分: \(\mathbf{a}_{\parallel} = \text{proj}_{\mathbf{b}}\mathbf{a} = (2, 0)^T\) * 直交成分: \(\mathbf{a}_{\perp} = \mathbf{a} - \mathbf{a}_{\parallel} = (2, 3)^T - (2, 0)^T = (0, 3)^T\) よって、\(\mathbf{a} = (2, 0)^T + (0, 3)^T\) と分解できます。


第4章 基本的な不等式

4.1 コーシー・シュワルツの不等式

この不等式は、内積とノルムの関係を示す、線形代数学において最も重要で基本的な不等式の一つです。

定理: コーシー・シュワルツの不等式 (Cauchy-Schwarz Inequality) 任意のベクトル \(\mathbf{x}, \mathbf{y}\) に対して、以下の関係が常に成り立ちます。

\[|\mathbf{x} \cdot \mathbf{y}| \le \|\mathbf{x}\| \|\mathbf{y}\|\]

等号が成立するのは、一方のベクトルが他方のスカラー倍である場合(線形従属、つまり平行な場合)、または少なくとも一方がゼロベクトルの場合に限ります。

この定理は、ベクトル間の角度を定義した式 \(\cos \theta = \frac{\mathbf{x} \cdot \mathbf{y}}{\|\mathbf{x}\| \|\mathbf{y}\|}\) の右辺の絶対値が常に1以下であることを保証しており、角度の定義の理論的根拠となっています。この定理の証明は任意の \(t\) に対して、\(\|\mathbf{x}+t\mathbf{y}\| \geq 0\) であることから、\(t\)についての判別式を考えることで証明できます。